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【読書レビュー】『初歩からわかる数学的ロジカルシンキング』永野裕之

<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%ED%A5%B8%A5%AB%A5%EB%A5%B7%A5%F3%A5%AD%A5%F3%A5%B0">ロジカルシンキング</a> ちまたでよく耳にする「ロジカルシンキング」とは具体的にどういうものなのか?そんなに重要ならぜひ身につけたい!と思っている方に、私がおすすめしたいのはこの本。

永野氏によると、

“「ロジカルシンキング」とは、主にコンサルティング会社で使われていたコミュニケーション能力を高めるためのスキルのことを指します。それは理解のしやすさと説得力を高めて、伝えたいことをできるだけわかりやすく説明する方法と言い換えることができるでしょう。 一方、ロジカルシンキングを直訳すれば「論理的思考」となります。論理的思考というのは すべての人間は死ぬ

ソクラテスは人間である

⇒よってソクラテスは死ぬ

といった三段論法に代表されるような、立場・主義・主張の如何を問わずどのような人間にとっても正しいことが明白な結論を導く考え方のことです。論理というブロックを積み上げることで真理を探究してきて哲学や数学の歴史とは論理的思考の歴史であるといっても過言ではありません。この意味における「ロジカルシンキング」は、ヒラメキや勘では太刀打ちできない問題を解決しようとするときに大きな力を発揮します。”(p.4,5)

と、このように「ロジカルシンキング」を定義しています。

そして、ロジカルシンキングには「できるだけわかりやすく説明する」コミュニケーション能力としての側面と、「正しいことが明白な結論を導く」問題解決能力としての側面の二つがあるそうです。

「使うのは中学の数学だけ!」と銘打ってあり、文章も平易なので数学が大の苦手!という方でも入っていきやすいと思います。ぜひ、読んでみてください。 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
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【アニメ考察】『プリパラ』ファルルと 「0-week-old」

謎のボーカルドール・ファルルと、歌詞が2通りあるファルルの持ち歌「0-week-old 」(ゼロウィークオールド、ラブウィークオールド)はプリパラの世界観をよりメルヘンやファンタジーなものにする一方で、ちょっぴりダークな面を覗くような好奇心をそそります。 プリパラはアイドルになりたい女の子たちが集まるテーマパークです。プリチケが届いたら誰でもプリパラに行くことができるようになります。プリパラ内ではトモチケをパキッて交換しあうことが友達の証になります。 プリパラの物語において、主人公のらぁらの次に重要なキャラであるファルル。ファルルは強力なライバルとしてらぁらたちの前に立ちはだかります。 1期17話のハロウィン回での初登場は、夕暮れ時の薄暗い路地からひっそりと現れてどこか謎めいた雰囲気を感じさせます。鏡写しのようにらぁらの動きをまねるファルル。「らぁら キラキラ プリズムボイス」と言い残して去っていきます。 ファルルはアイドルに憧れる女の子たちの思いが集まってできたプリチケから生まれたボーカルドールです。ボーカルドールとは、プリパラの中で生まれて、生まれながらにアイドルの頂点に立つ才能を持つといわれている、都市伝説的な存在です。そして、希少だとされるプリズムボイスの持ち主です。プリズムボイスとは人の心の奥まで気持ちを届けることができる歌声のことで、らぁらも未熟ながらその歌声の持ち主です。 ファルルはマネージャーのユニコンに管理され、「生まれた時からアイドル」で「雲の上の存在」なのだと教えられながら、順風満帆に人気アイドルへの階段を登っていきます。 しかし、何の疑問も持たずに用意された道を歩くだけの日々に、らぁらと出会ったことで変化が生まれます。 らぁらとの「約束」でファルルはプリパスという端末を通してプリパラの外の世界を見ます。あわただしい学校の様子や、本の中でしか見たことがなかった男の子の姿、そしてくるくると動く小さくてかわいいらぁらの妹・のん。 学校で生き物係をしているのんはファルルに温室で自分が世話をして育てている花々を見せます。ここでファルルが「いきもの…」と呟いているのは、操り人形だったファルルが生命に対する強い憧れを抱いていることがよく表れています。そして、妹とは「小さいけどけっこう重たくて、こわーいもの」だ、というらぁらの言葉から、古びたロボットの置物に「ファルルののん」と名付け、らぁらの妹・のんに贈られたアネモネを挿して大切にするようになります。 生まれた時からアイドルだったファルルは、ファンを増やす以外のこと、友達をつくりたいという思いを抱くようになります。 しかし、ファルルはらぁらとトモチケをパキった瞬間に深い眠りについてしまいます。実はアイドルになるためにプリチケから生まれてきたファルルにとって友達が欲しいという気持ちはシステムに生じたバグのようなものとして処理されてしまうため、トモチケをパキッたことでファルルの機能は停止してしまったのです。 この辺りは糸巻きの針が刺さって死ぬ呪いをかけられた「眠り姫」を思わせます。ファルルの隣で泣き叫んでいるユニコンは「白雪姫」で毒リンゴをかじってしまったために屍になってしまったお姫さまの死を惜しむ小人の姿に重なります。悪いものを取り込んだために永遠の眠りについてしまうという、童話の中のお姫さまの型通りの運命。愛を知ってしまえば生きられないと歌っている0-week-old (ゼロウィークオールド)をなぞるような展開です。 ファルルを目覚めさせるには奇跡を起こしてファルルの心の奥に想いを届けるしかない。そこでらぁらのプリズムボイスを頼みに歌を届けましたが、そのライブは失敗。しかし、会場やテレビ中継で見ていたみんなが声を合わせて歌った歌声がプリズムボイスとなってファルルの心に想いが届き、ファルルを再び目覚めさせることに成功します。 この時らぁら達やみんなが歌ったのはプリパラ1期1〜13話までのOPテーマ、「Make it !」です。 Make it !はプリパラという作品の「誰だって叶えられる」「理想、憧れ、夢」というテーマを歌った曲です。 最初は女の子たちが夢を叶える世界であるプリパラへの憧れ、つまりらぁらのアイドルへの憧れを象徴する曲でしたが、ファルルがらぁらやみれぃ、そふぃ、ドロシー、レオナ、シオンたちと出会って友情のきらめきを知り、外の世界や友達を作ることへの憧れを抱くようになったことを象徴する曲としても解釈できます。 すると、Make it !には「おしゃれなあの子マネするより自分らしさが一番でしょ、ハートの輝き感じたなら理想探しに出かけようよ」と始まって、「キラキラ」(らぁらはファルルが自分の声を聞いてキラキラと言ってくれたことを思い出して涙ぐんでいます)、などファルルへのメッセージとなるエッセンスが散りばめられていることに気づきます。 「ファルルは知りたかったんでちゅ。見たかったんでちゅ。つかみたかったんでちゅ。自分の生まれてきた世界を……。そうでちゅよね、誰だってそうでちゅよね」 「誰でも強く願えば人の心の奥まで届く声になるということでちゅか」 このユニコンの言葉も、劇中でのMake it !の歌詞をいっそう輝かせます。 眠りから目覚めたファルルは 「Make it ! ときめく心が素敵でしょ Make up! 大好きが今の答えでしょ 憧れた その気持ち 夢見るためのチケット Lady ! Ready to go ! Paradise ! 」 と歌っています。目覚めのファルルとして愛する心を得たファルルはその後無事にトモチケをパキることができるようになりました。ファルルはボーカルドールから普通の女の子に生まれ変わったのです。 ファルルは1期の最終回でユニコンと共にらぁらたちのプリパラであるパラ宿(原宿をもじった名称)を去り、プリパリへ旅立ちます。そして2期58話「帰ってきたファルルでちゅ」でユニコンやたくさんのミニファルル達をつれてパラ宿に再びやってきます。 ミニファルルとはファルルと同様に持ち主のいないプリチケから生まれたボーカルドール達のことで、ファルルはいわば妹のような存在であるミニファルル達を愛情をこめてお世話しているようです。 ここではらぁらの妹・のんとの交流が思い出されます。ファルルにとって、のんは生命(いのち)の熱や愛によってもたらされる輝き、そして世界の色彩を教えてくれた存在。0-week-old (ラブウィークオールド)のメイキングドラマ(見せ場のシーン)は、のんに贈られたアネモネの花びらがファルルの胸に落ちてくると、セピア色の風景に色がつき、花が一斉に咲き始めるというものですが、ファルルの心象を表現したものなのでしょう。 ファルルはらぁらの妹であるのんに対して花の種をプリパリからのおみやげに贈っています。 0-week-old (ラブウィークオールド)は2期を象徴する曲でもあると思います。紫京院ひびきとのことも含めて、また書ければいいなと思います。ありがとうございました。

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【漫画レビュー】『のだめカンタービレ』二ノ宮知子

のだめカンタービレは、敷居の高いイメージのあるクラシック音楽を音楽に関する知識が少ない人でも楽しむことができるような工夫がされている。登場人物が曲を演奏する際、曲の世界観を絵で描写することによって、読者が視覚的に音楽を捉えることができるようになっているのだ。楽器や曲の説明がわかりやすく語られることもそうした工夫の一つだが、漫画という無音の媒体における演奏シーンの表現は特に注目すべき所だと考える。

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【読書レビュー】『紙の動物園』ケン・リュウ

・紙の動物園

ジャックはアメリカ人の父と中国人の母との間に生まれた子供だった。子供の頃、ジャックが泣き止まないとき母はいつも包装紙でいろいろな動物を折ってくれた。だがジャックは成長するにつれ、アメリカに馴染めないでいる中国人の母をだんだん厭うようになり、その折り紙すら蓋をしてしまい込んでしまうようになる。そして、父と母との馴れ初めを知ってますます嫌悪感と無関心がジャックの中に広がっていく。 しかしジャックは彼女の死後、彼女の生い立ちを折り紙の虎から教えられ、彼女の折り紙に魔法が宿っていることを知ることになる。

魔法。つまり愛。

私の好きな言葉の一つに「愛がなければ視えない」というのがあります。例えば、ある人に対して敵意を持って見ればその人は極悪人のように映るかもしれない。しかし、愛情や真心を持って見ればその人に対してなんらかの共感や理解が芽生えるかもしれない。ジャックは母の死後、それをやっと理解したのだと思います。

繊細で優しい短編でした。


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【読書レビュー】『にごりえ・たけくらべ』樋口一葉

私がにごりえを読んでいて一番印象的だったのは、結城がお力に言った「お前は出世を望むな」という言葉である。結城の言う出世とはお力の言う玉の輿と同義なのだろうか。お力が本心で思う出世とは玉の輿ということなのだろうか。その後の結城の「思いきってやれ、やれ」という言葉からも二人の会話がかみ合っているのか微妙なところであると思った。結城の言う出世が裕福な男性と結婚して安定した生活を得るという女としての幸せを指すならば、それは結城がお力に結婚を申し込めば叶うことであり、この二人の仲であればそうなってもおかしくないはずなので、お力をけしかけるような言い方をするということはないだろう。結城のこのような態度にはお力を分かろうとしているがどこか離れた所に身を置いているという感じがあり、お力もまた心の奥底に抱えているものを見せようとはしていないため、社会の下層で貧しく苦しい生活を強いられている女達の誰もが持っているであろう玉の輿という願望を持ち出しているのだと思う。 それではお力の本心、お力の本当の願望は何なのか。お力は父親や祖父を引き合いに出してきて、自分がこのように不幸で貧しいのは生まれついてのことであり、そこから脱却することはできないのだと嘆いている。だがそうした困難の中でも泣き言をこらえて、自分に入れ込んだために身を滅ぼすことになった源七を目の当たりにしても世間の憂き目と諦めて身をかわし、なんとか必死に生きていこうと社会にしがみついていこうとする態度は、辛い境遇に置かれたことへ恨み節を言うばかりの源七の妻と比べても芯の強さが感じられる。同じように不幸な境遇にある下層の人々の中でもお力のみがそのような強さを持っているという描かれ方をしており、お力のそういう芯の通ったところに源七や結城が惹かれたのではないか。 私は、その芯というのがお力の中の誰にも明かすことのない野心であると思う。お力はこのまま不幸と決まりきっている運命を辿っていかなければならない人生を嘆いているが、裏を読めば父親や祖父が立派だったなら自分も然るべき幸福を得られたのではないかと思っているということである。だが現実は父親も祖父も日の目を見ることなく死んでいった。自分が生活するのもやっとで子どもを養うことも儘ならず遊女に身を落とせば、もともとは比較的裕福であった源七が、故意では無いにせよ自分のせいで不幸のどん底に落ちた。そういう点で見ると、女に生まれたために世の中に翻弄されて生きてきたお力と、金持ちで働かずとも自由に遊んで暮らしていくことのできる結城とは対照的である。作者は立場の対照的な二人を会話させることで、お力の中の社会的な地位を得たいという願望を暗に示そうとしたのではないか。お力の身の上話を聞いた結城が見いだしたかどうかはわからないが、お力の中の願望はお力の父親や祖父が成しえなかったことであり、それを持たないために幸福になることができないということをお力は知っている。もちろんお力はそんな願望は今の自分の境遇では到底実現不可能であるということも知っているが、絶望の中でたった一つ心に秘めた希望のようにその願望を持ち続けていることを、結城に言い当てられたと思って驚いたのではないか。お力という女の未来は結局源七の刃によって絶たれてしまうが、お力は苦境にありながらも自分の本当の望みを見失うことのない人物で、生きること自体を諦めてしまうような人物ではないと思うので同意の上で心中したのでは無いと思う。そういう人物が最後まで運命に翻弄され、埋もれていくことこそが「にごりえ」という題名が表す虚しさや悲しさであると思った。

【アニメ考察】『プリパラ』における音の機能

映像作品において裏方の職業である声優が昨今タレントやアイドルのように表舞台に立つ存在として広く認知されてきていることの要因として、映像作品の中の登場人物と現実世界を繋ぐ役割として声優が機能していることが挙げられる。このことについて大いに関心を抱いたため、声優ユニットであるi☆Risのメンバーが主要キャラクターを務める『プリパラ』を取り上げ、作中で用いられる音、つまり声優の歌が作品においてどのように機能しているかを考察する。

概要

『プリパラ』は「プリパラ」という誰もがアイドルになれるテーマパークの中で登場人物達が全てのアイドルの頂点である神アイドルを目指して切磋琢磨するというストーリーである。作中において音が効果的に用いられているのはアイドルがライブをするシーンである。ライブは登場人物を演じる声優が歌唱を担当している。内容はCG映像による登場人物のダンスと共に登場人物の個性を表現した歌を披露するというものである。ライブシーンは毎話必ず、最低でも一回は挿入される。 このライブシーンには⑴登場人物の個性を表現する機能⑵ゲームでの体験を豊かにする機能⑶作品世界と現実世界とを繋ぐ機能の3つの機能があると考えた。

⑴登場人物の個性を表現する機能

登場人物はそれぞれが固有の性格や生い立ちなどを持ち、それをライブで表現する。時にはチームを組み、チームのメンバーの個性を掛け合わせたライブを行う。 登場人物の個性が表現されているライブとしてファルル というアイドルを例に挙げる。ファルル のライブには2通りが存在し、ファルル の個性の変化によってライブが変化するという仕組みになっている。ファルル は主人公と出会う前までは「プリパラ」の中でしか生きられない存在であり、生命を持たない人形であった。しかし主人公と出会い友情を知ってからは、生命を手に入れ新しい自己を手に入れる。このファルル の変化はファルル の声優である赤崎千夏によるライブ時の歌い方の変化に顕著に表れている。おそらく生命を持たないファルル は無機質な声音で歌い、生命を得たファルル は生き生きとした声音で歌うというように歌い分けているのだろう。このように、ライブには登場人物の個性を表現する機能があると考える。

⑵ゲームでの体験を豊かにする機能

『プリパラ』はタカラトミーによるゲームでもあることから、販促効果についても指摘する。ゲーム版『プリパラ』は大型ショッピングセンターなどに設置されている筐体で遊ぶリズムゲームである。 遊び方の大まかな流れを説明する。まず洋服やアクセサリーなどが描かれたカードをカスタマイズして筐体にスキャンし、オリジナルの「マイキャラ」を作る。そして、アニメのライブシーンをそのまま再現したかのようなCG映像と楽曲に合わせて画面の中で踊るマイキャラを鑑賞しながらリズムゲームをする。以上がゲーム版『プリパラ』の大まかな遊び方の流れである。 楽曲は筐体にしかないものもあるが、大半はアニメで放送されたライブにおいて使用されたものである。ライブシーンで使用された歌をゲームで用いることで、ゲームをプレイすることを通して作品世界との一体感が生まれることが期待される。このような体験を売ることを目的とする機能があるのではないかと考える。

⑶作品世界と現実世界とを繋ぐ機能

また、『プリパラ』と同様、アイドルが歌って踊るライブシーンを取り入れている作品に『アイカツ!』がある。しかし『アイカツ!』は登場人物を演じる声優と歌唱を担当する歌手が異なるという点が『プリパラ』とは異なる。この点から、『アイカツ!』よりも『プリパラ』の方が登場人物と歌唱担当とが密接に結びついていると言うことができる。 『プリパラ』では登場人物を演じる声優が舞台に立ち、登場人物と同じ衣装を着て、登場人物になりきって演技をしながらライブを行う。それだけでなく、登場人物同士のかけ合いも再現して見せるなどのパフォーマンスも行われる。このように声優と登場人物がシンクロすることで作品世界と現実世界とを繋ぐ機能があると考える。

まとめ

『プリパラ』におけるライブシーンには主に3つの機能があると考察した。『プリパラ』では歌を通して登場人物に対する理解を深め、ゲームでの体験を通して作品世界に参入することができる。そして声優が登場人物とシンクロすることで作品世界と現実世界の繋がりを錯覚させることに繋がるのである。しかしそうしたプロセスにおいて声優の役割が些か重過ぎるのではないかという憂慮もある。声優はあくまで演者であり登場人物そのものではない。声優と登場人物のシンクロへのあまりに度が過ぎた期待は声優にとって重荷となりかねないということをファンは肝に銘じる必要があると考える。


【読書レビュー】『わかれ道』樋口一葉

『わかれ道』という作品において、「わかれ道」という題名はお京と吉三の人生が分岐し、別の道を進むことを余儀なくされる運命にあることを示唆していると解釈した。そして、お京と吉三が用いる「出世」という言葉がその分岐を象徴しているのではないかということに注目し、この運命の分岐点に直面した際のお京と吉三それぞれの心情について考察する。 お京と吉三の心情考察 親も兄弟もなく身寄りのない子供である吉三は、一人っ子で兄弟もなく独り身であるお京に親近感を感じ、お京を姉のように慕っている。身内のような存在であったお京が見ず知らずの他人の元へ行くことを受け入れられず吉三はお京を引き留めようとする。 吉三がお京を引き留めようとする言葉の中に「何んな出世に成るのか知らぬが其処へ行くのは廃したが宣らう」(p.169)というものがある。この言葉はお京の「私が少しもお前の身なら非人でも乞食でも構ひ(「構」の字は本文では手偏)はない、おやが無からうが兄弟が何うだらうが身一つ出世をしたらば宣からう」(p.162)という言葉を受けてのものであろうと考えられる。吉三はお京が自分に望んだ「出世」の道と、お京がこれから行こうとしている道とがかけ離れていることを指摘しているのであり、「出世」という言葉を用いているのには単に庇護されてきた対象がいなくなることに対する拒絶反応というだけではない吉三の複雑な心情が表れているのではないかと考える。 お京は吉三に対し、吉三がどんな身の上であったとしても身一つで財産を築き上げる努力をすれば何も問題はないと励ましているが、その言葉を自分自身に当てはめることができないことを悟っている。「私は洗ひ張りに倦きが来て、最うお妾でも何でも宣い、何うで此様な詰らないづくめだから、寧その腐れ縮緬着物で世を過ぐさうと思ふ」(p.169)という言葉は、男である吉三が身一つで財産を築くことができても、女であるお京にはそれが困難なことであることが分かりきっているため男の元に身を寄せるしかないという諦めに似た心情の表れであるのではないかと考える。 お京と吉三の「わかれ道」 お京と吉三の心情考察より、二人の「わかれ道」は「出世」というものが分岐点となっているのだと考える。お京の吉三に対する「私が少しもお前の身なら非人でも乞食でも構ひ(「構」の字は本文では手偏)はない、おやが無からうが兄弟が何うだらうが身一つ出世をしたらば宣からう」(p.162)という言葉は、「出世」というものが女であるお京には手に入れることのできない男だけの特権であるということを暗に示しているのである。それを理解することができない吉三はまだ社会に染まりきらない子供であるが、吉三にはやがて成長して男だけの特権である「出世」を手に入れる可能性が開かれているため、お京の生き方とこの先平行線を辿るであろうということが暗に示されているのではないかと考える。 おわりに 筆者の一葉が生きた時代においては、女性が一人で生計を立てていくことや社会的地位を得ることは今以上に困難なことであったに違いない。一葉はそうした社会構造が生む姿の見えない抑圧にさらされ続ける存在として女性を描き出していると考える。 そうしたテーマが根幹にあるためか、『わかれ道』をはじめ、一葉が描く物語には社会によって押し付けられた男女の生き方の違いが悲しみや憐れみを誘う物語として表現されることが多い。しかし読者である私たちは悲しみや憐れみを単なる美しさとして昇華してしまわず、一葉の訴えかけようとしているテーマに対する理解を深めることに努めなければならないと考察を通じて感じた。

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