Onuphurius

感想、考察、紹介がメインのブログです。

【読書レビュー】『にごりえ・たけくらべ』樋口一葉

私がにごりえを読んでいて一番印象的だったのは、結城がお力に言った「お前は出世を望むな」という言葉である。結城の言う出世とはお力の言う玉の輿と同義なのだろうか。お力が本心で思う出世とは玉の輿ということなのだろうか。その後の結城の「思いきってやれ、やれ」という言葉からも二人の会話がかみ合っているのか微妙なところであると思った。結城の言う出世が裕福な男性と結婚して安定した生活を得るという女としての幸せを指すならば、それは結城がお力に結婚を申し込めば叶うことであり、この二人の仲であればそうなってもおかしくないはずなので、お力をけしかけるような言い方をするということはないだろう。結城のこのような態度にはお力を分かろうとしているがどこか離れた所に身を置いているという感じがあり、お力もまた心の奥底に抱えているものを見せようとはしていないため、社会の下層で貧しく苦しい生活を強いられている女達の誰もが持っているであろう玉の輿という願望を持ち出しているのだと思う。 それではお力の本心、お力の本当の願望は何なのか。お力は父親や祖父を引き合いに出してきて、自分がこのように不幸で貧しいのは生まれついてのことであり、そこから脱却することはできないのだと嘆いている。だがそうした困難の中でも泣き言をこらえて、自分に入れ込んだために身を滅ぼすことになった源七を目の当たりにしても世間の憂き目と諦めて身をかわし、なんとか必死に生きていこうと社会にしがみついていこうとする態度は、辛い境遇に置かれたことへ恨み節を言うばかりの源七の妻と比べても芯の強さが感じられる。同じように不幸な境遇にある下層の人々の中でもお力のみがそのような強さを持っているという描かれ方をしており、お力のそういう芯の通ったところに源七や結城が惹かれたのではないか。 私は、その芯というのがお力の中の誰にも明かすことのない野心であると思う。お力はこのまま不幸と決まりきっている運命を辿っていかなければならない人生を嘆いているが、裏を読めば父親や祖父が立派だったなら自分も然るべき幸福を得られたのではないかと思っているということである。だが現実は父親も祖父も日の目を見ることなく死んでいった。自分が生活するのもやっとで子どもを養うことも儘ならず遊女に身を落とせば、もともとは比較的裕福であった源七が、故意では無いにせよ自分のせいで不幸のどん底に落ちた。そういう点で見ると、女に生まれたために世の中に翻弄されて生きてきたお力と、金持ちで働かずとも自由に遊んで暮らしていくことのできる結城とは対照的である。作者は立場の対照的な二人を会話させることで、お力の中の社会的な地位を得たいという願望を暗に示そうとしたのではないか。お力の身の上話を聞いた結城が見いだしたかどうかはわからないが、お力の中の願望はお力の父親や祖父が成しえなかったことであり、それを持たないために幸福になることができないということをお力は知っている。もちろんお力はそんな願望は今の自分の境遇では到底実現不可能であるということも知っているが、絶望の中でたった一つ心に秘めた希望のようにその願望を持ち続けていることを、結城に言い当てられたと思って驚いたのではないか。お力という女の未来は結局源七の刃によって絶たれてしまうが、お力は苦境にありながらも自分の本当の望みを見失うことのない人物で、生きること自体を諦めてしまうような人物ではないと思うので同意の上で心中したのでは無いと思う。そういう人物が最後まで運命に翻弄され、埋もれていくことこそが「にごりえ」という題名が表す虚しさや悲しさであると思った。