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【読書レビュー】『わかれ道』樋口一葉

『わかれ道』という作品において、「わかれ道」という題名はお京と吉三の人生が分岐し、別の道を進むことを余儀なくされる運命にあることを示唆していると解釈した。そして、お京と吉三が用いる「出世」という言葉がその分岐を象徴しているのではないかということに注目し、この運命の分岐点に直面した際のお京と吉三それぞれの心情について考察する。 お京と吉三の心情考察 親も兄弟もなく身寄りのない子供である吉三は、一人っ子で兄弟もなく独り身であるお京に親近感を感じ、お京を姉のように慕っている。身内のような存在であったお京が見ず知らずの他人の元へ行くことを受け入れられず吉三はお京を引き留めようとする。 吉三がお京を引き留めようとする言葉の中に「何んな出世に成るのか知らぬが其処へ行くのは廃したが宣らう」(p.169)というものがある。この言葉はお京の「私が少しもお前の身なら非人でも乞食でも構ひ(「構」の字は本文では手偏)はない、おやが無からうが兄弟が何うだらうが身一つ出世をしたらば宣からう」(p.162)という言葉を受けてのものであろうと考えられる。吉三はお京が自分に望んだ「出世」の道と、お京がこれから行こうとしている道とがかけ離れていることを指摘しているのであり、「出世」という言葉を用いているのには単に庇護されてきた対象がいなくなることに対する拒絶反応というだけではない吉三の複雑な心情が表れているのではないかと考える。 お京は吉三に対し、吉三がどんな身の上であったとしても身一つで財産を築き上げる努力をすれば何も問題はないと励ましているが、その言葉を自分自身に当てはめることができないことを悟っている。「私は洗ひ張りに倦きが来て、最うお妾でも何でも宣い、何うで此様な詰らないづくめだから、寧その腐れ縮緬着物で世を過ぐさうと思ふ」(p.169)という言葉は、男である吉三が身一つで財産を築くことができても、女であるお京にはそれが困難なことであることが分かりきっているため男の元に身を寄せるしかないという諦めに似た心情の表れであるのではないかと考える。 お京と吉三の「わかれ道」 お京と吉三の心情考察より、二人の「わかれ道」は「出世」というものが分岐点となっているのだと考える。お京の吉三に対する「私が少しもお前の身なら非人でも乞食でも構ひ(「構」の字は本文では手偏)はない、おやが無からうが兄弟が何うだらうが身一つ出世をしたらば宣からう」(p.162)という言葉は、「出世」というものが女であるお京には手に入れることのできない男だけの特権であるということを暗に示しているのである。それを理解することができない吉三はまだ社会に染まりきらない子供であるが、吉三にはやがて成長して男だけの特権である「出世」を手に入れる可能性が開かれているため、お京の生き方とこの先平行線を辿るであろうということが暗に示されているのではないかと考える。 おわりに 筆者の一葉が生きた時代においては、女性が一人で生計を立てていくことや社会的地位を得ることは今以上に困難なことであったに違いない。一葉はそうした社会構造が生む姿の見えない抑圧にさらされ続ける存在として女性を描き出していると考える。 そうしたテーマが根幹にあるためか、『わかれ道』をはじめ、一葉が描く物語には社会によって押し付けられた男女の生き方の違いが悲しみや憐れみを誘う物語として表現されることが多い。しかし読者である私たちは悲しみや憐れみを単なる美しさとして昇華してしまわず、一葉の訴えかけようとしているテーマに対する理解を深めることに努めなければならないと考察を通じて感じた。

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